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第1回 -中国編-

馬鈞の言葉に通じる、ヤマザキマザックの精神

 

「巧思絶世(世に並ぶものなき知恵者)」と呼ばれた三国時代の発明家、馬鈞。正確な生没年も分かっていない、謎の多い発明家だ。若い頃、毎日を遊んで暮らしていた馬鈞。あまりの貧しさから生活費を稼ぐために機織(はたおり)機の改良を試みると「従来機の5倍もの性能がある」と大評判を呼ぶこととなる。その才能が認められ、魏の官職に就くものの、ある日、同じく魏に仕える身である高堂隆と秦朗と口論になる。それは、古い文献に登場する、常に同じ方位を指し示す車、「指南車」に関するものだった。
「磁石もなしに、同じ方位を指し示すからくりなど存在するはずがない」という二人の主張に対し、馬鈞は「指南車は実在した」と反論する。「今の世の人は工夫をしてみようともしない」と批判するものの、口下手なこともあり、議論はそこで終わってしまう―。

後日、高堂隆と秦朗が目の前に見たものは、まさに、常に一定の方向を指し示す「指南車」の姿だった。馬鈞は歯車を組み合わせることにより、そのからくりを実現。指南車の存在を自ら証明したのだった。その時、馬鈞はこう言ったという。「空論をもてあそぶ前に、まずはチャレンジを…」。この言葉こそ、彼のものづくりへの姿勢にほかならなかった。このエピソードによって、馬鈞の名声は天下に鳴り響くことになる。
指南車に限らず、馬鈞の発想とチャレンジ精神は、あらゆるジャンルで活かされていた。多数の木板を木の鎖でつなげてチェーン状にした“竜骨”を使った、灌漑用揚水機「翻車」は「その功、常に百倍」との評判を得る。諸葛亮が作ったことで知られる、数本の矢を同時に射る「連弩」を改良し、その効率を5倍にまで高めたといわれる。このほかにも、連続して石を投げつける城攻の武器「発石車」や、宮廷の娯楽道具として水力を利用したからくり玩具「水転百戯」など、常に挑戦的で発想力あふれる「ものづくり」を実現。「空論をもてあそぶ前に、まずはチャレンジを…」。こうした果敢な挑戦が、時代を切り開く“ものづくり”を可能にしたのだった。

中国の成長スピードは、過去の欧米や日本と比べられないほど速く、自動車、建設機械、電子機器、家電などの幅広い業種で今後日本との関係もさらに密接になるものと言われています。そんな中国とヤマザキマザックの関係は古く、30年以上前にさかのぼります。
1979年の中国工作機械メーカーとの汎用旋盤の合作を皮切りに、その他メーカーとの汎用旋盤合作や、CNC旋盤の技術提携などが挙げられます。設備投資では、1998年の上海に続き、大連、広州にテクノロジーセンタを開設し、中国のお客様の生産合理化や加工技術のソリューション、納入機に関する迅速なサービスをご提供する体制を整えています。
さらに2000年には、寧夏回族自治区銀川市に生産工場を設立。念願であった中国での本格的現地生産を開始しました。この工場には、最新の自動化設備を導入し、少ない従業員で効率的に工作機械を量産することから“小巨人”と命名しました。
2013年3月から中国で二番目となる遼寧工場を大連市にて稼働、小型CNC旋盤と立形マシニングセンタの生産を開始しました。機械納入後にお客様をサポートする「統合パーツセンタ」や「主軸修理部門」も併設しアフターサービスも万全な体制を構築しています。ヤマザキマザックはこれからも、中国のお客様のさらなる満足度向上を目指します。